マイコンの勉強というより、安価なコンピュータとして使われたからです。
当時、コンピュータは100万円〜3億円という高価なものでしたが、
TK-80は3万円ほどで買える手軽なコンピュータ。
簡単なゲームも作られ、ゲームで遊ぶ子供たちも増えてきました。
そこでキーボード一体型のコンパクトなパソコンを作りました。
それがPC-8001です。
8001には8023(プリンタ)をはじめ
8030シリーズの記憶装置(フロッピー)や
ディスプレイ(8050シリーズ)など、いろいろな 周辺装置 を用意しました。
徐々にコンピュータらしくなって行きましたが
私たち半導体屋はプリンタや記憶装置を作れません。
そこでOSはアメリカ製 (デジタルリサーチやマイクロソフト) 、ワープロは ジャストシステム、
プリンタは スター精密、外部記憶装置は 松下通工 など
本体以外のハードウエアやソフトウエアを よその会社に作ってもらって
パソコンがシステムとして完成する事になります。
自分たちに能力がないため外部を頼ったのですが、結果として広くパソコン関係の仕事を世の中に広める
ことに役立ち、パソコンの普及につながりました。
今でいうオープンマインド?
時代の先取りをしましたね、といわれますが、結果としてそうなった、と思います。
その後、携帯型のPC-8200、廉価版 (子供用?) の PC-6001、
ビットマップディスプレイのPC-100など矢継ぎ早に製品を送り出しましたが
半導体屋に出来ることには限界があります。
開発を外部に委託するようになり、使いやすさが悪くなっていった気がします。
パソコン市場の拡大に伴い、大型コンピュータを作っているチーム (情報処理グループ) がN-5200を開発。
この後、情報処理グループが PC-9801 (16Bitのパソコン) を発売して大ヒット。
パソコン事業は半導体グループから情報処理グループへ移管され
私たち 半導体 グループにはパソコン関係の業務が無くなり
再び半導体に専念することになります。