パソコンの歴史
1998年10月 工事開始

パソコンの歴史、それはマイコン ( マイクロコンピュータ ) の トレーニングキット から始まりました。

お願い
人によって物の見方は異なります。 ここの記述は、私の独断と偏見で書いたものです。
見識ある方と異なる点があると思いますので一エンジニアの見方、としてご覧ください。
うろ覚えの記憶で記述していますので、年代などは公式の資料などでご確認ください。

 昭和48年(1973年)頃だったでしょうか、 マイコン (マイクロコンピュータ) を開発しました。 しかしマイコンはコンピュータですから プログラム が必要です。 当時のコンピュータは 1000万円以上する 高価な機械 、そんな物を使っている人はごく限られた人です。 マイコンを普及させるには、まずプログラムと言う物を知って貰う必要があります。 そこで プログラムの勉強 をするための組み立てキットを作りました。 このキットはたくさん売れました。 キットを勉強のために使うのではなく、コンピュータとして使う人がいたのです。 これは意外でした。 基板を装置に、そのまま組み込んでしまう。 そのため、たくさん売れて、メチャクチャ忙しくなりました。


パソコンの たまご TK-80

揺籃期T
TK-80 TK = トレーニングキットの略
何のトレーニングなの?

当初、電卓用として作った LSI(大規模の集積回路) ですが米国TI社が 【マイクロコンピュータ】と言う名前で売りはじめました。
電卓は計算をする機械ですが、どの電卓も四則計算があり、どんな電卓も機能は似ています。 そこで計算回路を共通にしてプログラムで機能を変更する方式が考案されました。 京都にある日本計算機という会社が電卓用のICをアメリカに注文しました。 インテルというベンチャー企業へ。 するとインテルやTIはこれをコンピュータとして売り出したのです。

マイコンにはソフトウエアが必要です。ソフトウエアは日本ではなじみの薄い物でした。 そこでマイコンに必要なソフトウエア(プログラム)の勉強をするためのキットを作りました。 それがTK-80です。 TK-80は、8桁の数字を表示するLED、 4ビットの記号(0〜9とA〜F)を入力するキーボード、 外部記憶装置は通常の音楽カセットテープを想定しています。 当時LEDは赤しかないので8桁の表示は赤色です。

TK-80は組立キットです。
ビットイン 組み立てキットは難しい。
組立方を教えたり修理したりと、大変でした。
 TK-80は勉強用の機材なので、電気の技術者ばかりでなく、電気をしらない人たちも買い始めました。 こうなると組立方の指導から修理まで、それまでは考えもしなかった仕事が増え始めました。 半田付けを知らない人が組み立てるので、動作しないことも多い。 修理や相談のためのサービスセンター(のような物)が必要になりました。 そこで、私たちの部品 (半導体) を、秋葉原で売って頂いていたお店 (代理店) のオーナーにお願いして、 秋葉原の駅前にあるラジオ会館と言うビルの7階にあった事務所のようなところを借りて サービスセンター【BitINN】を開設しました。 BitINNは、情報の単位であるBit (小さい) と、だれでも気軽に泊まれる宿 インをつないで作った造語で誰でも気楽に立ち寄って貰おう、と言う場所です。

揺籃期U
TK-80 BS TK-80にBASIC言語を乗せました
機械語だけだったTK-80に、インタープリタを載せました。
BSは BASICステーション の略
BASICは ビギナーズ・オールパーパス・シンボリック・インストラクション・コード の略です。
初心者用多目的言語と言う意味です。 英語を基本にした初心者にわかりやす
い、多目的の言語です。 それまでのTK-80は機械語でした。機械語はゼロと1が並
んだ物で素人には理解しにくい物でした。 文字 (英語) でプログラムを書けるのは素人
向けとしては大きな進歩でした。
BASICは英語を基本にした言語ですからアルファベットを表示するためのディスプレイが必要です。 しかし、コンピュータ用のディスプレイ装置は非常に高価。 モノクロでも10万円以上です。 そこで家庭のテレビに文字を出せるようにしました。 誰でも手軽にソフトウエア開発ができるようになりました。
しかし、BSは短命でした。 まもなく、まともなパソコンが登場したからです。 アルファベットを入力するためBSにはキーボードを付けましたが、 キーボードと本体がバラバラでした。 本体をキーボードの中に組み込んで一体化したコンピュータを開発したのです。


パソコン第一号
PC-8001 TK-80は売れました。
予想外の売れ行です。
マイコンの勉強というより、安価なコンピュータとして使われたからです。 当時、コンピュータは100万円〜3億円という高価なものでしたが、 TK-80は3万円ほどで買える手軽なコンピュータ。 簡単なゲームも作られ、ゲームで遊ぶ子供たちも増えてきました。 そこでキーボード一体型のコンパクトなパソコンを作りました。 それがPC-8001です。

8001には8023(プリンタ)をはじめ 8030シリーズの記憶装置(フロッピー)や ディスプレイ(8050シリーズ)など、いろいろな 周辺装置 を用意しました。 徐々にコンピュータらしくなって行きましたが 私たち半導体屋はプリンタや記憶装置を作れません。 そこでOSはアメリカ製 (デジタルリサーチやマイクロソフト) 、ワープロは ジャストシステム、 プリンタは スター精密、外部記憶装置は 松下通工 など 本体以外のハードウエアやソフトウエアを よその会社に作ってもらって パソコンがシステムとして完成する事になります。 自分たちに能力がないため外部を頼ったのですが、結果として広くパソコン関係の仕事を世の中に広める ことに役立ち、パソコンの普及につながりました。 今でいうオープンマインド? 時代の先取りをしましたね、といわれますが、結果としてそうなった、と思います。

その後、携帯型のPC-8200、廉価版 (子供用?) の PC-6001、 ビットマップディスプレイのPC-100など矢継ぎ早に製品を送り出しましたが 半導体屋に出来ることには限界があります。 開発を外部に委託するようになり、使いやすさが悪くなっていった気がします。 パソコン市場の拡大に伴い、大型コンピュータを作っているチーム (情報処理グループ) がN-5200を開発。 この後、情報処理グループが PC-9801 (16Bitのパソコン) を発売して大ヒット。 パソコン事業は半導体グループから情報処理グループへ移管され 私たち 半導体 グループにはパソコン関係の業務が無くなり 再び半導体に専念することになります。

ミニコン  マウスが変えた  外部リンク → 40年ぶりのPC-8001