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小学校の校舎 |
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1999年03月14日 作成 2015年07月09日 更新 |
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私の母校は伊那山脈の山の上にあります。
校庭には 海抜881m と言う標識がたっています。
校舎の向こうに伊那の谷を経て雲に隠れた木曽の山脈が遠くに見えます。
ここは山の上。子供達は、あちらこちらの家々からここまで登って来ます。
当時は木造でしたが、今は鉄筋。当時、木の廊下はピカピカに磨かれてい
ました。雪花菜(オカラ = 豆腐のカス)を布に包んだ物で廊下を磨きます。
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- 通学路は遊び場
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私の家から小学校まで4km。
学校と我が家の間には、いくつかのルートがありました。
普段は最も近い『近道』を通りますが学校の帰りには『遠道』と呼ばれる
自動車が通れる道を遠回りして帰ったり、
1時間ほどかけて友達の家を回って帰る事もありました。
下校の道では、さんざん遊びました。
道路沿いの崖で雲母を掘ったり、水晶を探したり。
秋にはモミジの種でプロペラ遊び。
春から夏は、道ばたのススキの穂やイタドリをとって食べます。
竹藪に石を投げて叱られたこともありました。
大きな雲母は宝物でした。
山の子供には、遊ぶところはいくらでもあります。
- 災害
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昭和36年 (1961年) 大雨による災害が発生。
ここ生田村は陸の孤島となり、小学校は自衛隊の物資運搬基地になりました。
小学校の校庭はヘリポートとなり、連日大型ヘリが様々な物資を運んできてくれました。
小学校は山のてっぺんにあるので平気でしたが周囲の家々は流され、となりの大鹿村では
200人ほどが犠牲になるなど大きな災害でした。
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