寺子屋
半導体
マイコンの歴史
1997年12月25日作成
2011年08月24日更新

それは電卓から始まった (1975年頃)

京都と大阪の間に日本計算機と言う会社がありました。 JR東海道線から見えていました。 電卓を作っていたこの会社は、 電卓の基本的な部分がほとんど変わらないことに目をつけました。 そして、演算の方式だけを変化させる方法を考え出したのです。

プログラムで機能を変化させ、時代の要求に応えようと考えた技術者が居ました。 そしてどうやらその構想が軌道にのろうかと思う頃に会社がつぶれてしまいました。 この頃、キャノン、立石電機(オムロン)などが電卓生産に乗り出してきて競争が激化したからです。 さらに三洋や老舗のシャープが力を入れるなど、乱戦模様となりました。
2011年のNHKの番組ではシャープとカシオが電卓戦争をしていた、と報道しています。 カシオが参戦したのはLSIが開発されて乱戦模様になりはじめた頃だった、と思います。 シャープや日本計算機が電卓を作り始めた頃はLSIは無く、 当初はトランジスタを使っていました。その後、TTLが使われ、そして シャープがMOS型のICを使い始めました。 MOS型のICは日本で実用化されました。 当時アメリカでは製造工程のクリーン度が低くてシリコンの表面を使ったMOS型のICを 実用化することが出来なかったのです。 日本は畳の文化、つまり工場へ入るときに靴を脱ぐ。 アメリカの工場では土足で工場に入っていた、と聞いています。
日本計算機に居た島さんは、ICを注文したインテル社へ移籍する事になりました。 この頃インテルは フェアチャイルド からスピンアウトしたメンバーで会社を作ったばかり。 社員70名ほどの小さな会社でした。

アメリカはコンピュータ社会

電卓用のLSIに 『 マイクロコンピュータ 』 という名前をつけて売り出したら、大ヒット。 それがTI社の TMS-1000 です。 この少し前からIBMが事務計算用のコンピュータを売り出していたので、 コンピュータという言葉は一般に知られる言葉になっていたのでしょう。 この頃のマイコンはプログラムカウンタにリングカウンタを使っていました。 理由は素子数が少なくて済むから、です。 しかしリングカウンタは乱数発生器として使われるくらい複雑な動きをします。 アドレスの順序を覚えにくい。 このため後継機はバイナリカウンタに改良されました。

インテルは当初、電卓用として4ビットのマイコンを作りました。 4ビットで16種類の組み合わせがあるので数字を扱うには十分だったのです。 (品名は4004)  しかし、数字だけでは物足りない。 文字を扱いたいので8ビットのマイコン、8008に発展。 8ビットなら256通りの組み合わせがありますからアルファベットや記号を扱えます。 欧米のタイプライタは96文字でした。 つまり7ビット(128通り)で十分でした。 そこで残りの1ビットをパリティ (誤り検出) に使えるようにしました。


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