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【災害】 |
1999年11月23日作成 |
- ●昭和36年
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私の実家は海抜750mの山の上ですが、昭和36年に集中豪雨で大きな災害に見舞われました。
山の上ですから水が出る事はありません。
400mmを越す雨が3日ほど降り続いたために土砂崩れが頻発しました。
小学校は海抜810mの山の上にありますが、校庭から周囲を見回すと
200ヶ所以上の土砂崩れが数えられたそうです。
土砂は山を崩して谷へと流れて行きます。
谷を登ってくる道路はいたるところで崩れ、跡形なく崩れ去ったようです。
まるで登山の時の沢登りの様だと言っていました。
- ●陸の孤島へ自衛隊のヘリ
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全ての道路がいたるところで崩れて村は孤立しました。
自衛隊のヘリが小学校の校庭へ舞い降りて救援物資を運んできます。
自衛隊は道路の復旧やら、流された家の捜索、村の状況を外部へ報告するなどの様々な活動をしてくれました。
子供だった私は
ヘリコプターをみに小学校へ行ったり、駐屯している人達が捨てたバッテリーを拾って、
とても明るい携帯ランプを作ったりして遊んでいました。
村は、山奥の農家ですから野菜などは全て自宅で作っていました。
水は沢のわき水が使えます。
ですから、食べ物や水などで苦労することはほとんどなかったと思います。
- ●臨時の道路が復旧
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自衛隊の活躍はすごい。
10日ほどで臨時の道路が出来ました。
いたるところで崩れていたのに100人ほどの自衛隊がいくつかの部隊に分散して作業にあたり、
瞬く間に車が通れるようになってしまいました。
車が通れるようになると救援物資が運び込まれてきます。
食料やら、毛布、衣料など様々な物が配給されました。
でも各家々は無事なので衣料も毛布も要りません。
食料は乾パンや缶詰だったと思います。
普段食べたことがない物を食べることが出来ました。
おそらく都会の災害では、毛布や食料、それに水などは、本当に必要な物になるんでしょうね。
地震や火事で住むところがなくなったら、とりあえず衣料や毛布、水や食料はとてもありがたい物だと思います。
春先は繭の出荷時期でした。
道路が寸断されていたときは大人達は背中に担いで街まで売りに行っていたと思います。
繭は、加工しないで置くと、中のサナギが蛾になって出てきてしまうのです。
そうなる前に茹でて生糸に加工しなくてはなりません。
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