昭和53年、すでに20年以上も前の事ですが、東洋工業(マツダ)が経営不振に陥り、住友銀行が支援をしはじめました。
住友銀行はおなじ住友系の当社にマツダ向けの自動車部品の供給を促しました。そして、マツダと当社で自動車用の電気部品(電装品といいます)を作る合弁会社を作ろうと持ちかけてきました。当時私は、エンジン制御装置を設計していたので新しい会社へ送り込まれる事になりました。しかし、新会社の設立が遅れた事と、私が上司と喧嘩して退職の意志を示した時期と重なったために私が新しい会社へ移籍する事は実現しませんでした。とはいえ、マツダと当社との打ち合わせに、私も同席していました。
打ち合わせは3日間行われました。連日、マツダの研修所に泊まり込みました。このときに、有名なロータリーエンジンの開発者二人にショールームへ案内して頂きました。さらにロータリーエンジンの模型を頂きました。
まだ20代だった私は、このプラスチック製のロータリーエンジンの模型が気に入りました。実際に回してロータリーエンジンの仕組みを知る事が出来る物です。
このとき当社側の総指揮を執っていたAさんは既に他界。
当時の課長は当社の代理店へ移籍、他のメンバーは系列会社の社員でした。
会社に残っているのは私だけになってしまいました。