パソコンの歴史、それはマイコン ( マイクロコンピュータ ) の
トレーニングキット
から始まりました。
お願い
人によって物の見方は異なると思います。
ここに記載している事項は、私の独断と偏見で書いています。
一般に見識ある方とは異なる点があると思います。
単なる一人のエンジニアの見方としてご覧ください。
うろ覚えの記憶に基づいて記載しています。
年代などは公式に公開されている資料などでご確認ください。
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昭和48年(1973年)頃だったでしょうか、マイコン(マイクロコンピュータ)
を開発しました。
しかしマイコンはコンピュータですから
プログラム
が必要です。
当時のコンピュータは
1000万円以上もする高価な機械、そんな物を使っている人はごく限られた人です。
マイコンを普及させるには、まずプログラムと言う物を知って貰う必要があります。
そこで私たちは
プログラムの勉強
をするための組み立てキットを作りました。
このキットはたくさん売れました。
キットを勉強のために使うのではなく、コンピュータとして使う人が多かったのです。
これは意外でした。
たいへんよく売れて、私たちはメチャクチャ忙しくなりました。
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| 揺籃期T |
| TK-80 |
トレーニングキットの略がTKです。 何のトレーニングなの? |
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30年ほど前、マイコンという物が開発されました。
電卓用として作っていた LSI(大規模の集積回路)に【マイコン】と言う名前が付くと
コンピュータとして売れはじめたのです。
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電卓は計算をする機械ですが、どの電卓も四則計算があり、どんな電卓も機能はにています。そこで計算回路を共通にしてプログラムで機能を変更する回路が考案されました。ちょうどそのころ、京都にある日本計算機という会社が電卓用のICをアメリカに注文しました。インテルというベンチャー企業へ。するとインテルとTIはこれとそっくりなICをコンピュータと言って売り出しました。
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マイコンにはソフトウエアが必要です。ソフトウエアは日本ではなじみの薄い物でした。
そこでマイコンに必要なソフトウエア(プログラム)の勉強をするためのキットを作りました。
これがTK-80です。
80というのはCPUに8Bitのマイコン(8080と言う品名)を使っていたので
80と言う名前にしました。
TK-80は8桁の数字を表示する機能と、
4ビットの記号(0〜9とA〜F)を入力するキーボードそれに
データをカセットテープに記憶するための入出力端子があるだけです。
外部記憶装置は通常の音楽カセットテープ。
ディスプレイは8桁の数字を表示する LED だけです。
TK-80は
組立キット
です。
| ビットイン |
組み立てキットは難しい。
組立方を教えたり修理したり。
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TK-80は爆発的に売れました。技術者ばかりではなく
電気をしらない人たちも買い始めました。
こうなると組立方の指導から修理まで、それまでは考えもしなかった仕事が
じゃんじゃん増え始めました。半田付けを知らない人が組み立てるとまともに動作しません。
修理や相談のためのサービスセンター(のような物)が必要になりました。
そこで、私たち半導体屋が作った部品を秋葉原で売って頂いていたお店のオーナーにお願いして、
秋葉原の駅前にあるラジオ会館と言うビルの7階にあった事務所のようなところを借りて
サービスセンター【ビットイン】を開設しました。
BitINNは、情報の単位であるBit(小さいと言う意味)と、だれでも気軽に泊まれる宿
インをつないで作った造語で誰でも気楽に立ち寄って貰おうと言う場所です。
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| 揺籃期U |
| TK-80 BS |
TK-80にBASIC言語を乗せました
機械語だけだったTK-80に、インタープリタを載せました。
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BSは BASICステーション の略です。
BASICは
ビギナーズ・オールパーパス・シンボリック・インストラクション・コード
の略です。
すなわち初心者用多目的言語と言う意味です。
英語を基本にした初心者にわかりやす
い、多目的の言語です。
一方、TK-80は機械語でした。機械語はゼロと1だけが並んだ
物で素人には理解しにくい物でしたから
文字 (英語) でプログラムが書けるのは、素人向
けとしては大きな進歩です。
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BASICは英語を基本にした言語ですからアルファベットを表示するためのディスプレイが必要です。
当時、コンピュータ用のディスプレイは非常に高価でモノクロでも10万円以上していました。
そこで家庭のテレビを使えるようにしました。
画面に文字が出せるようになり、誰でも手軽にソフトウエア開発ができるようになりました。
しかし、BSは短命でした。
まもなく、まともなパソコンが登場したからです。
アルファベットを入力するためBSにはキーボードを付けましたが、
キーボードと本体がバラバラでした。
本体をキーボードの中に組み込んで一体化したコンピュータを開発したのです。
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パソコン第一号
| PC-8001 |
TK-80はじゃんじゃん売れました。
予想外の売れ行です。 |
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マイコンの勉強というより、安価なコンピュータとして使われたからです。
それまでのコンピュータは100万円〜3億円という高価なものでしたが、
TK-80は3万円前後で買える手軽なコンピュータとして使われたようです。
簡単なゲームも作られ、ゲームで遊ぶ子供たちも増えてきました。
そこでキーボード一体型のコンパクトなパソコンを作りました。
これがPC-8001です。
TK-80の80と同じ8Bitの80に本体の01をつけて8001としました。
この8001には8023(プリンタ)をはじめ
8030シリーズの記憶装置(フロッピー)や
ディスプレイ(8050シリーズ)など、いろいろな周辺装置を用意して
徐々にコンピュータらしくなって行きましたが
半導体屋はプリンタや記憶装置を作れません。
そこでOSはアメリカ製 (デジタルリサーチやマイクロソフト) 、ワープロはジャストシステム、
プリンタはスター精密、外部記憶装置は松下通工など
本体以外のハードウエアやソフトウエアは よその会社に作ってもらって
パソコンがシステムとして完成する事になります。
その後、携帯型のPC-8200、廉価版 (子供用?) の PC-6001、
ビットマップディスプレイのPC-100など矢継ぎ早に製品を開発しましたが
なにぶんにも半導体屋に出来ることには限界があります。
パソコン市場が拡大するに従い大型コンピュータを作っているチーム (情報処理グループ) も
パソコンを開発しました。
それが N-5200 です。
この後、情報処理グループは PC-9801 と言う 16Bit のパソコンを開発し
これが爆発的に売れました。
この頃、パソコン事業そのものを半導体グループから情報処理グループへ移管して
半導体グループからパソコン関係の事業が無くなりました。